あれから10年。
オレの人生で、いや、当時の記憶のある方には絶対に忘れられない日だと思う。
あの日と同じように今日も当たり前の朝が来る。
それは自転運動の結果に過ぎなくて、翌日はもういつもの朝ではなくなってしまった。
錯綜する情報と不安。非日常というのは何の前触れもなく訪れるのだと知った。
埼玉という安全な土地にいるにも関わらず、何も出来ない自分の無力さと、理想ばかりを夢描いて結局は何も出来ない事をすごく恥じた。
オレがもっとみんなの知っているような有名なミュージシャンでいれたなら、勇気づけたり、何かを発信する事で人を動かす事も出来たかもしれない。
そんなことを考える事自体が「何様のつもりだ?」と、間違っているんじゃないかという無力感。
錯綜する情報と同じように自分がなにものなのか定まらない不安に押しつぶされそうな始末…。
あれから10年。
ずっと被災地で頑張り続けている人たちがいる。
情けない話だけど逆に勇気づけられてしまっている。
ずっと挫けそうになったり投げ出したくなった時に現地の方達が頑張る姿に、動けなくなりそうな足をもう一歩とりあえず進める気力をもらった気がする。
安全な場所にいて、些細なことで苛立ったり挫けそうになる自分が恥ずかしい。
この空の下頑張り続けている友人、いつか出会う友人、もう会う事は叶わない友人たちへ、誇れるような日々をこれからも足を止めずに歩いていきます。
またあした。